コピー数の少ないHIVウイルスとデジタルPCRで計測するStrain博士の格闘

カルフォルニア大学サンディエゴ校の Matt Strain 博士は、抗レトロウイルス療法を受けている方のHIV(ヒト免疫不全ウイルス)のDNA及びRNAのモニタリングを試みています。HIVの絶対定量を行うため、ウイルス分野では比較的早期にドロップレットデジタルPCR(droplet digital PCR:ddPCR)を導入しています。Strain博士にddPCRのアッセイとプロトコールの開発について伺い、微量サンプルに対するddPCRのメリットとデメリットについて議論しました。


デジタルPCRとは
デジタルPCR(dPCR)に用いるサンプルや試薬は通常のqPCRと同じです。通常のqPCRが全反応・全コピーをチューブ内1区画で行うのに対し、dPCRではピコリッターやそれより小さな区画内で、0もしくは1コピーのみを増幅させます。この区画には「Chips」と呼ばれる極小ウェルや、ddPCRの様に界面活性剤の特性を活かした液滴が用いられます。数千に区画化したあと、PCRを行うので、区画内にターゲットの配列が存在する場合のみ増幅が起こります。最後にターゲットの増幅がある区画をポジティブ、増幅されなかった区画をネガティブとしてカウントします。増幅の有無は各区画で行ったqPCRによる蛍光で判別します。結果がポジティブあるいはネガティブの2種である事が「デジタル」と呼ばれる所以です。デジタルPCRのより詳細の説明については、こちらの記事(Digital PCR (dPCR)—what is it and why use it?)をご参照ください。


HIVアッセイの課題
Strain博士は、ddPCRでは内在性コントロールや検量線無しで絶対定量が行える点に注目しました。しかし、本法を用いたHIVに対するゴールドスタンダードアッセイはなく、HIVに対するqPCRアッセイの開発には、特有の課題がいくつも残されていました。

Strain博士によれば、ゴールドスタンダードが存在しない理由の1つに「HIVゲノムは非常に変異速度が速く、1人の感染者内のゲノムでも10%以上が異なっている可能性がある」ことが挙げられています。リアルタイムPCRにおいては、単一のSNPであっても増幅効率に大きく影響を及ぼすことがあるため、変異によりCq値が変化し、再現性が無くなってしまいます。対して、ddPCRは最終産物の増幅のみを計測するため、アッセイの再現性にとらわれず、最適条件でなくとも正確な定量結果を得られます。

Strain博士と共同研究者は、ターゲットの濃度が「106細胞中、300コピー」以下の場合、ddPCRはリアルタイムPCRよりも正確である事を報告しました[1]。HIVのターゲットは細胞由来のDNAと比較して非常に低濃度であることが多いため、精度の高さは大きな利点となります。これは、当初の目的であった抗レトロウイルス療法の経過観察に適しています。

ddPCRには、これらの利点だけでなく、いくつかの課題も有ります。Strain博士とコラボレーターは、特にポジティブとネガティブの閾値の設定が難しいことを指摘しました。バイオラッド社のソフトウェアを閾値の設定に用いると明らかに検査結果と異なる結果が生じてしまったことを課題の1つに挙げています。そこでStrain博士は、ソフトをカスタマイズして誤った結果の排除を試みましたが、完全に排除する事はできませんでした。[1]。この閾値の問題は、サンプルにRNAを用いた際により顕著になりました。これはおそらく、ddPCRのバッファーによる逆転写の阻害が原因だと考えています。RNAアッセイにおける蛍光の減少は、ポジティブデータとネガティブデータの判別を困難にし、実験の失敗やコピー数の過小評価につながります。


ダブルクエンチャープローブによるバックグラウンドの減少
HIVに対するddPCRアッセイの有効性について発表[1]以降、Strain博士の研究室では、ddPCR用プローブをZENクエンチャーを用いたダブルクエンチャープローブに切り替えました。ZENクエンチャーは、5'末端の蛍光色素から9塩基~10塩基の間に位置する内部クエンチャーで、3'末端のIowa Blakクエンチャーと協働して消光を行います。このダブルクエンチャー方式はddPCRと相性がよく、シングルクエンチャーのプローブと比較して、バックグラウンドが減少しシグナルも増加しました。その結果、図1の様にddPCRの分解能が向上しました。

Strain博士は、「我々は全てのアッセイに対して、ダブルクエンチャープローブが必要だとは考えておりません。しかし、ddPCRとダブルクエンチャープローブは相性が良く、特に、プライマーやプローブの認識配列に突然変異が存在する可能性がある場合には、ダブルクエンチャープローブはバックグラウンドを下げるという点において価値があります。」と述べています。Strain博士はこれらのHIVアッセイにおいて、「我々は本当に少ないコピー数を見ているので、個々の液滴が重要になるのです。」とも教えてくれました。Strain博士の研究室では、www.bio-protocol.orgで更新されたプローブデザインを使用したHIVアッセイのオープンアクセスプロトコールを公開しています。



図1.ddPCRにおいて、ZEN ダブルクエンチャープローブは、ポジティブとネガティブの液滴の分解能を向上させる
蛍光の絶対量は、プローブの配列と長さによって厳密に決まっています。ここでは、RNAサンプル(A)およびDNAサンプル(B)を用いたddPCRアッセイおいて、ZEN クエンチャーを付加したFAM標識HIVプローブ(pol HIV, 2LTR HIV)と、ZENの標識されていないプローブを比較しました。どちらのケースでもZENクエンチャーを用いたプローブは、ネガティブな液滴の数を減少させました。これにより、ポジティブとネガティブの判別が容易になります。ポジティブなクラスターもまた、より集中して見え、閾値の設定もより簡単になりました。


現在の進捗
Strain博士の研究室では、様々なタイプのサンプルとアプリケーションを用いてHIV研究のためのツール開発を続けています。現在では、培養によりウイルス産生を活性化させた患者細胞に対し、博士の開発したRNAアッセイを用いてウイルスの定量化を行っています。このアプローチは、博士や研究者達がHIVを根絶するために、排除したい細胞の良い指標となっています。

Strain博士は、併発する病気のモニタリングと同時にHIVウイルスのモニタリングを可能にするオープンソースのdPCRプラットフォーム開発にも取り組んでいます。このシステムには、彼の研究室で開発されているマイクロウェルチップを使用します。このフォーマットでは、Strain博士グループを悩ませた細胞溶解液やPCR試薬によるddPCR反応の阻害など、いくつかの問題も解決しています。マイクロウェルシステムは、より安定で幅広い状況に対応したアッセイを提供すると思われます。


研究者紹介 - Matthew Strain, MD, PhD and Steven Lada, Research Associate -


Mattehew Strain博士(左)は、若い頃から科学に関心を持っていましたが、現在の研究に至るまではさまざまな紆余曲折がありました。博士は、学部と院でり理論物理学を学んだ後、人々の日々の生活に直接影響を与えられるのではないかと考え、医学博士号を取得しました。カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の医学部のカリキュラム(MDプログラム)で、彼は理論物理学とMDプログラムを融合させてはどうかと気付き、HIVの計測を通してPhDとMDで学んだ事を活かしています。現在、Strain博士はUCSDのAssistant Professorです。

Steven Lada氏(右)は、感染症(デング熱、インフルエンザ、HIV)の研究を10年近く行っています。リイサーチアソシエイトとして、Strain博士の研究室で開発されたアッセイを実践しています。Strain博士からの意見をもとに、グループのHIVアッセイを定義・検証しています。


References
製品フォーカス
PrimeTimeqPCRアッセイ
加水分解プローブを用いたのアッセイは定量的遺伝子発現解析のゴールドスタンダードです。
プローブ法、インターカレーター法ともに、ヒト、マウス、ラットに関してはIDTが設計したプレデザインのアッセイ検索を行うことができます。プレデザインはIDT独自のバイオインフォマティクスアルゴリズムを用いて設計し、NCBIの最新の配列情報を参照しています。
PrimeTimeについて、詳しくはこちらをご覧ください。

ダブルクエンチャープローブ
IDTは、ZENダブルクエンチャープローブに加えて、新たにTAOダブルクエンチャープローブを提供しています。どちらも、5′末端に蛍光修飾、Internalクエンチャー(ZENまたはTAOクエンチャー)、3′クエンチャーとしてIowa Black(アイオワブラック)を有しています。これらのプローブは、従来のシングルクエンチャープローブと比較して、低いCq値を示し、精度も向上しています。
ダブルクエンチャープローブとバックグラウンドについて、詳しくはこちらをご覧ください。


Additional Reading
デジタルPCR (dPCR) とは
本記事はdPCRの概略と、dPCRがマルチプレックスPCRを含むqPCRのアプリケーションにどの様に使われるのかについて掲載しています。

PCRやqPCRのプライマーやプローブをオンラインツールで簡単にデザインする方法
オリゴヌクレオチドの詳細や、プライマーをデザインするためにIDTが提供する無料のオンラインツールの使い方を紹介しています。本記事で紹介しているのは、PrimerQuest®を用いて行う「プレデザインqPCRのアッセイ検索」「基本的なプライマーや加水分解プローブのデザイン方法」です。

ダブルクエンチャープローブはウィルス負荷の検出において、qPCR Assayの感度を向上させる
ZENダブルクエンチャープローブはクエンチャーが一つしかないTaqManプローブと比較すると、顕著にバックグランドの蛍光を減らすことができます。このデータは、ダブルクエンチャープローブがより良い方法であることを示唆しています。

クエンチャーは1つより2つが良い
本記事で示すデータは、ZENやTAOを用いたダブルクエンチャープローブは、例えばBHQを用いたシングルクエンチャープローブと比較して、検出シグナルの増加や、高いアッセイ感度を示します。ZENやTAOを付加したダブルクエンチャープローブは、バックグラウンドの蛍光がより低くなるため、ATリッチな領域などより長いプローブが必要なときでも使用できます。